大判例

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大阪地方裁判所 平成2年(ワ)1605号 判決

原告

佐伯逸子

被告

松林弘明

主文

一  被告は、原告に対し、金三二三一万一七一四円及びこれに対する昭和六三年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一億〇三四三万四一〇〇円及びこれに対する昭和六三年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、普通乗用自動車同士の追突事故により、追突された車両の運転者が、傷害を負つたとして、他方車の運転者に対し、自賠法三条に基づき、損害賠償を内金請求した事案である。

二  争いのない事実等

1  事故の発生

原告は、普通乗用自動車(大阪五二ほ七九〇五)(原告車両)を運転して、昭和六三年一月三一日午後八時一五分頃、大阪市大淀区豊崎七丁目八番先(国道四二三号線)路上を南から北に進行中、被告の運転する普通乗用自動車(なにわ五六さ一三二五)(被告車両)に後方から追突された(本件事故)(当事者間に争いがない。)。

2  被告の責任

被告は、被告車両を借り受け、運行の用に供していた際本件事故を起こした(当事者間に争いがない。)から、本件事故によつて、原告に生じた損書を賠償する責任がある。

3  原告の傷害(一部)

原告は、本件事故によつて、頸部捻挫の傷害を負つた(乙二、三、一〇)。

4  原告の治療経過

原告は、昭和六三年一月三一日(本件事故当日)北大阪病院に通院し、同年二月一日大阪赤十字病院に通院し、同月二日から同月一九日まで同病院に入院し、同年三月一二日、一九日、二四日、同病院に通院し、同年二月二七日、同年三月一〇日、二九日大阪国立病院に通院し、同年四月二一日から同月二六日まで同病院に入院し、同年五月一七日、六月二一日同病院に通院し、平成元年五月二日ボバーズ記念病院に通院し、同年七月一七日から同年八月一九日まで同病院に入院し、その後も同病院に通院し、平成元年一二月一四日症状固定の診断を受けた(当事者間に争いがない。)。

5  損害(一部)の発生及び既払い

原告は、本件事故により、治療費三九万二六五五円、ポリネツク代四〇〇〇円を要し、損書の填補として、被告から合計三四七万五三三五円の支払いを受けた(当事者間に争いがない。)。

三  争点

1  本件事故と原告の右足痛、歩行障害との因果関係

(一) 原告の主張

原告は、本件事故前から、両足について後天的な尖足及び先天的な僅かな内股の変形障害があつたが、本件事故直前まで歩行障害はなく、自動車免許も無条件で取得しており、現実に本件事故時もマニユアル車を運転しており、機能上の障害や痛みはなく、健常者と同様な生活を送つていた。原告は、本件事故の際、頸部及び腰部を捻挫した他、衝突のシヨツクのためと二重衝突を避けるため、条件反射的に思い切りブレーキペダルを踏んだところ、右足首に強い力が加わり、複雑に捻挫し、靱帯を損傷した。原告は、右傷害により、以後、歩行が不可能となつた。

このことは、ボバーズ記念病院での梶浦医師の診断、レントゲン撮影の結果、筋力テストの結果のほか、昭和六三年二月一六日の赤十字病院での筋力テストの結果から明らかである。なお、原告は、本件事故直後から頻繁に右足の痛みとこれによる歩行障害を訴えていたが、当初に診断した北大阪病院の担当医は、原告の足の変形に気をとられて、右訴えのカルテ記載を怠り、赤十字病院での主治医の村尾医師は、原告の足の変形に目を奪われたことや、富医師によるシヤルコ・マリー・トウース症候群との診断もあつたため、原告の訴えに沿つた診断をせず、原告の右足捻挫を見落してしまつた(同時期に同病院の稲次医師は、事故の際右足首に通常以上の力が加わり、強い捻挫を引き起こしたと思われる旨診断している。)。なお、赤十字病院のカルテは、村尾医師らの医療過誤を隠蔽するために記載の一部が改ざんされたと窺われるうえ、診療当初には右足の腫れが記載されていた。その後、受診した国立大阪病院においても、原告は右足の痛みを訴えていたが、村尾医師のシヤルコ・マリー・トウース症候群との判断に影響を受け、また、本件事故前に原告を診断した兵庫医科大学の揚医師の、内反尖足による痛みとの見解に引きずられ、当初の適切な診断を怠り、原告の右足捻挫を発見するに至らなかつた。

(二) 被告の主張

本件事故は軽微なものであること、原告は事故直後長時間にわたつて原告車両を運転していること、原告は本件事故の翌日、自分の足でマンシヨン一階まで降り、原告車両を運転し、車庫入れしていること、原告は、事故後長期間被告に足の症状を訴えていないし、事故直後臨床医師に右足捻挫を訴えたり、その治療を求めたりしておらず、カルテ上腫れの記載もないこと、原告の歩行困難は、本件事故前から発現しており、原因はシヤルコ・マリー・トウース症候群等の内因性の疾病か心因的なものかのいずれかであること、梶浦医師が原告を診察したのは、本件事故の一年四か月経過後であつて、本件事故前は歩行に何ら支障なく、事故時に右足を強く捻挫したとの原告の虚偽の説明に基づいて判断していることに照らすと、本件事故による右足首の捻挫はなく、原告の歩行障害は、原告の既往の変形によるものである。

2  原告の後遺障害の程度

(一) 原告の主張

原告は、右足首靱帯の損傷により、強い痛み等があるため歩行できず、その障害は自賠法施行令別表後遺障害等級表八級七号(一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの)(以下、級と号のみを示す。)に該当する。

(二) 被告の主張

仮に、原告主張の後遺障害が認められるにしても、一〇級一一号(一下肢の三大関節中の一開節の機能に著しい障害を残すもの)に該当するに過ぎない。

3  前記二5を除く損害

(一) 原告の主張

(1) 付添看護費 三八六九万七九七一円

ア 平成元年一二月三一日までの費用 三一五万円

原告は、歩行障害のため看護なしに日常生活を営むことは不可能であつた。

4500円×700=315万円

イ 右以降の費用 三五五四万七九七一円

原告(昭和二三年一二月二七日生)は、平成二年一月一日から平均余命八一歳までの四〇年間付添看護を要するので、ホフマン係数によつて中間利息を控除して算定する。

4500円×365×21.6426=3554万7971円

(2) 入院雑費 六万九六〇〇円

一日当たり一二〇〇円で入院五八日分

(3) 通院交通費 七万四五二〇円

大阪赤十字病院分二八二〇円(一往復九四〇円、三回分)、国立大阪病院分二万九七〇〇円(一往復一一〇〇円、二七回分)、ボバーズ記念病院分四万二〇〇〇円(一往復三〇〇〇円、一四回分)

(4) 装具購入費 二〇万四二二三円

(5) 診断書作成費 二万四七二〇円

(6) 休業損害 一二一九万〇三三四円

原告は、本件事故当時、刺繍の作品を制作・販売し、刺繍を教える仕事に就くとともに、夜間はホテルで電話交換業務に従事し、年間六五一万四六〇〇円を下らない賃金を得ていたところ、本件事故により、平成元年一二月一四日まで稼働できなかつた。

651万46000円÷365×683=1219万0334円

(7) 後遺障害逸失利益 四八〇一万六一八五円

原告の後遺障害は八級であり、平成元年一二月一四日症状固定した。

651万4600円×0.45×16.379(67歳まで26年の新ホフマン係数)=4801万6185円

(8) 傷害慰謝料(入通院慰謝料) 三〇〇万円

(9) 後遺障害慰謝料(八級相当分) 七五〇万円

(10) 弁護士費用 六〇〇万円

(一) 被告の主張

(1) 休業損害

原告は、昭和六一年申告所得額六五一万四六〇〇円を基礎に算定すべき旨主張するが、不当である。すなわち、昭和六一年分の申告は翌六二年六月二六日に、昭和六二年分の申告は翌六三年一一月二四日になされていること、原告は昭和六二年二月一五日暴行を受けて負傷し、本件事故の約一か月前まで稼働できなかつたこと等に照らすと、右申告はいずれも作為によるものと考えられ、信用できない。したがつて、右に述べた負傷による休業の事実に照らし、原告の収入は、同年齢女性の平均賃金(月額二〇万〇九〇〇円)の二分の一と考えるべきであり、休業期間は六か月が限度である。

(2) 後遺障害逸失利益

原告は、本件事故がなくとも、足の既往症によつて、本件事故から二年程度で歩行不能の状態に至つたと考えられるから、右期間に限定し、喪失率は一〇級に相当する二七パーセントとすべきである。基礎収入については前記休業損害と同一にすべきである。

(3) 看護費

平成元年一二月三一日までの看護費用は生じていないし、必要性もない。

右以降の看護費については、逸失利益同様二年間に限定すべきで、頻度も三日に一日で足りる。

4  寄与度減額

(一) 被告の主張

仮に、本件事故と歩行障害との間に因果関係があるとしても、原告には内反尖足その他の既往症があつたこと、左足については本件事故による直接的な影響がないこと等を考慮すると、既往症の寄与は九割を下らない。

(二) 原告の主張

体質的素因を理由に減額すべきではない。最判平成四年六月二五日(民集四六巻四号四〇〇頁)は、体質的素因を理由に減額したものと解されているが、素因による発症と交通事故による受傷とが混在した事象を割合的処理したとも考えられ、かつ、素因の形成において被害者に帰責性があるものであつたから、右最高裁判決によつて、被害者の体質的素因一般を根拠とする減額が肯定されたものと理解すべきではない。特に、本件は、原告には素因の形成に帰責性がなく、素因は潜在的かつ軽微で、それだけでは歩行障害は起こらず、特異なものでない点で、右最高裁判決とは事案を異にするから、減額すべきでない。

また、素因減額するとしても、著しく低率とすべきである。

第三争点に対する判断

一  本件事故前の原告の状況

甲五、六、二七、四一、四二、五九、検甲一ないし四、同七、八の各1、2、乙七の1、2、九、一一、一二、二三、証人田村、同村尾の各証言及び原告本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。

原告(昭和二三年一二月二七日生、事故当時三九歳)は、出生時は、足首の変形が見い出されなかつたが、その後、軽い内股状態として、大阪大学の整形外科の医師の指示で、下肢にギプスをはめたことがあつた。物心ついたころから両足がやや内側を向き、尖足となつていたため、常日頃からつま先で歩いていたが、それ以外に機能上の障害はなく、昭和四四年一〇月条件なしで普通自動車の運転免許を取得し、以来、マニユアル車を運転し続けてきた(例えば、昭和五二年七月から胃炎、胆のう炎で、国立大阪病院内科に入通院した際も、歩行・運転に不自由はなく、昭和六二年一一月二四日には、担当医の田村医師がこれを直接確認していた。)。

原告は、昭和六二年二月一五日、暴行を受け、頸部捻挫、腰部捻挫及び右肩捻挫の傷害を負い、翌六三年一月一五日まで、兵庫医科大学病院で通院治療した。なお、その際、両足内反足、両足尖足あるいは痙性麻痺(軽度)との診断を受け、マツサージ等の軽度のリハビリが施されたこともあつたが、通院の際の歩行に支障はなかつた。また、昭和六二年五月二九日頃、葬儀に出席したが、その際の参列や歩行には支障がなく、同年一〇月二九日頃海外旅行した際も歩行に支障はなかつた。

原告は、昭和六三年一月二日実家で兄にかかえ落とされて、全身打撲し、同月八日から大阪赤十字病院で村尾医師に湿布等の治療を受けたところ、その際、両足の尖足も指摘されたが、同月一五日宝塚ホテルのお茶会に行つた際、歩行に支障はなかつた。

なお、赤十字病院のカルテには、昭和六三年一月八日、原告がシヤルコ・マリー・トウース症候群と診断された旨の記載(乙二三、三頁)があるが、右記載は、同日そのような診断はしていないとの、証人村尾の証言や同日までの診断ではシヤルコ・マリー・トウース症候群の確定診断はできないとの、証人大庭の証言に照らし、信用できない。

二  本件事故の態様

前記の本件事故態様に、甲二、二七、乙一、検乙一、二の1、2、原・被告各本人尋問の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

原告は、前方が渋滞中だつたので、前方との車間を詰めて原告車両を運転し、時速約二〇ないし三〇キロメートルで、本件事故現場(新御堂筋高架上)を南から北に進行していた。被告は、被告車両を運転して、原告車両の後方を、時速約四〇キロメートル程度で走行していたところ、原告車両の後方約六・七メートルに至り、危険を感じて、とつさにブレーキを踏んだが及ばず、原告車両の後部に被告車両の前部が衝突し、原告車両の後部バンパー及び被告車両の前部バンパーが凹損した。原告は、衝突前には右足をアクセルに乗せていたが、衝突時に前方の車両との追突を避けるため右足をブレーキの上に移して、これを強く踏み、右足首を捩つた。

三  本件事故後の原告の症状の経過

1  本件事故直後から大阪赤十字病院入院まで

乙二ないし四、一〇、一四、検乙一、二の1、2、証人大庭の証言、原・被告各本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。

原告は、本件事故直後、被告と言葉を交した後、原告車両を道路左側に寄せたが、足の痛みを感じ、気分も悪くなり、道路上で嘔吐した。そして、原告車両を停車した位置が高架上であつたため、これを運転して下ろし、午後八時四〇分頃救急車で北大阪病院に搬送された。

北大阪病院では、気分不良、嘔吐、頭痛を訴え、頸部捻挫と診断され、頸部レントゲン検査を受けたが、著変はなく、消炎鎮痛剤、温布薬を投与された。なお、足の痛みもあつたが、これに対する処置はなかつた。その後、被告車両に同乗して、原告車両の停止場所に至り、同所からは原告車両を自ら運転して、被告車両を運転する被告とともに事故届を出すため大淀警察署に赴いたが、到着後気分が悪くなつたため、事情聴取を受けず、原告車両を置いたまま被告の父にタクシーで、原告居住の肩書マンシヨンに送られた。

原告は、翌二月一日、激しい頭痛、足首の痛みがあつたので、大阪赤十字病院に通院して、大庭医師の診察を受け、吐き気止め、痛み止め及び湿布の投薬を受けた。

原告は、同日、原告車両を届けた被告とその父の来訪を受け、七階居室からマンシヨンの裏手にある駐車場入口まで降り、入口を開けるために操作盤を操作したが、その際、足を引き摺つたり、壁づたいに歩く等、体が不自由な状況であつた。

なお、乙二八の1、2によると、原告は事故当日や翌日には、被告に対し、特に足の痛みを訴えていなかつたことが認められるものの、原告には、当時前記のとおり重い頸椎捻挫の症状があつたことに照らすと、右事実は、原告の右足痛を認定する妨げとはならない。

2  大阪赤十字病院入院から退院まで

前記認定の治療状況に、甲一九、二三、三六、四一、五九、乙四、五、一四、一五、二三、証人大庭、同村尾の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

原告は、昭和六三年二月一日の通院時に項ママ部痛と吐き気を訴え、翌二日にも吐き気、悪心が続き、全身痛(肩甲骨、両下肢痛、右手指痺れ)を訴えて、大阪赤十字病院に入院し、担当医の村尾医師に、頸椎カラー装着、安静の処置を受けた。その際の検査では脳外科的には著変がなく、頸部については、原告が北大阪病院のレントゲンで異常がなかつた旨を述べ、レントゲン撮影を了承する態度をとらなかつたため、撮影されなかつた。足については、村尾医師の判断でレントゲン検査はされなかつた。原告は、入院当初から起立障害を訴え、車椅子によつて移動していた。また、原告には、頸椎捻挫の症状である吐き気、頭部痛、頭痛、全身痛の他、下肢痛(同月三日)、足関節周囲の疼痛(同月五日)、足の先がピリピリする(同月一三日)、右下肢痛(同月一六日、なお、カルテの記載は左となつているが、村尾証言により、右の誤記と認められる。)が続いていた。村尾医師は、当時研修医であつたが、入院当初から、検査をせず原告の足を見た印象で、従前に確定診断を受けた患者を診察したことのないシヤルコ・マリー・トウース症候群を疑い、原告の足痛及び歩行障害は、本件事故によるのではなく、原告の足の変形に現われている既往症によると考えていた。村尾医師は、同月一〇日稲次医師の診断を仰いだところ、同医師は脳性麻痺の疑いと診断したものの、これを裏付ける所見はなく、同月一六日富医師に判断を仰いだところ、同医師は、詳しい検査をせず、シヤルコ・マリー・トウース症候群と診断した。稲次医師は、原告には、シヤルコ・マリー・トウース症候群による両下肢の機能障害があることを理由として、身体障害者認定請求手続をした。

原告は、同日、四肢ROM(関節可動域)検査、四肢筋力測定を受けたが、前者では、右股関節伸展一〇度時点で、右足首内転二〇度時点で、それぞれ疼痛が起こり、後者では、右足首周辺に痛みが生じた。いずれのテストにおいても、左下肢には痛みはなく、これらの検査結果は、右足首の捻挫の症状と一致するものであつた。

原告は、右足首痛及び歩行障害があるため、入院治療の継続を求めたが、村尾医師に、頸椎捻挫の症状が軽快したとして、退院を強く勧められ、不本意ながら、同月一九日同病院を退院した(乙一四)。

なお、稲次医師は、平成元年八月三日に至つて、病名を外傷性頸部症候群、右足関節捻挫とし、「原告を昭和六三年二月一〇日に診察したが、内反尖足があつたところに強い捻挫が加わつたため、原告の症状が発現した」旨を附記した診断書を作成している(甲一九)。

3  大阪赤十字病院退院後の通院、国立大阪病院、兵庫医科大学病院での治療経過

前記認定の治療経過に、乙四、六、九、一一、一四、一六、一七、二三、証人田村、同村尾の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、以下の事実を認めることができる。

原告は、入院治療の継続を望み、国立大阪病院の田村医師の紹介によつて、既往の消化器疾患に関し、同病院内科に入院する一方、田村医師と村尾医師の紹介で、同年二月二七日、同年三月一〇日、同月二九日同整形外科に通院し、同年四月二一日から同月二六日まで同科に入院し、平成二年八月まで月に数回同病院に通院し、歩行障害、右足痛の他、項ママ部痛、腰部痛、背部痛、倦怠感等を訴え続けた。原告は、同科への通院当初から、本件事故時に右足を捩つたことを訴えていた(乙一一、27頁)が、担当医は脊髄損傷による症状であることも疑つて、神経根症状の有無、レントゲン検査、筋電図検査、MRI等の諸検査をしたが、歩行障書を裏付けるような所見は得られず、シヤルコ・マリー・トウース症候群を否定し、足の変形は先天性のものと考えられるとし、原告の訴える諸症状は精神的なものであると判断した(乙一一、四六頁)。

原告は、同年三月一二日、一九日、二四日、二五日に、大阪赤十字病院整形外科ないし内科に通院したが、シヤルコ・マリー・トウース症候群に詳しい、神経内科医の今井医師は、シヤルコ・マリー・トウース症候群を否定した。なお、村尾医師の指示により、原告は同病院への通院を止めた。

原告は、同年三月八日兵庫医科大学病院に通院したが、担当の揚医師は、整形外科領域での他覚的所見はなく、症状は神経学的疾患がベースになつていると考えられると判断した。

4  ボバーズ記念病院での治療経過

甲三、四、二一、二二、乙一二、検甲五、六、証人梶浦の証言、原告本人尋問の結果によると、以下の事実が認められる。

原告は、平成元年五月二日、ボバーズ記念病院で受診し、本件事故後右足痛によつて歩行できないこと、既往として内反尖足があつたが、本件事故前は歩行できていた旨伝えた。徒手筋力テスト(どの程度の力の抵抗がある場合まで、それに屈せず、手足を挙げることができるかを調べるテスト)の結果は、左右とも前脛骨筋、母趾伸転筋がともに通常で、後脛骨筋で、筋力がやや弱いというものであつたが、神経麻痺を疑わせるほどの異常はなく、神経麻痺を窺わせる症状である排尿障害や知覚障害も認められなかつた。足のレントゲン撮影で骨折は認められなかつた。右足関節は、左右に動揺性が認められ、不安定であつた。そこで、梶浦医師は、内反尖足は認められるが神経原性ではないと判断し、右足首の靱帯の損傷と診断し、右足首を痛みのない位置で固定することができる装具を装着し、歩行訓練等のリハビリを行うことにした。同医師は、同年六月八日靱帯の損傷を確認するため、背臥位にて足関節正面像をレントゲン撮影し、他動的に内反、外反を強制して関節裂隙の変化をみたところ、左側は内外反にて関節裂隙が変化せず平行のままであり、右側は外反したとき関節裂隙が変化し、平行でなかつた。これは内側の靱帯が弛緩し、足関節の動揺が強いことを示しており、他の症状等を総合して、靱帯が損傷している可能性が高いと診断した(甲二二、乙一二、七頁、検甲五、六)。原告は、同年七月一七日から同年八月一九日まで同病院に入院し、また、前記のとおり、これより先の同年五月二日から右入院時まで通院し、さらに、右退院後も同年一二月一四日まで(実通院日数一七日)通院し、テープによる固定や装具を装着しての両足歩行ないし右足を浮かしての杖歩行のリハビリを受けたが、適切な装具が作成できず、リハビリによつて、左足首にも痛みが生じたため、結局杖歩行もほとんどできず、平成元年一二月一四日の後遺障害診断時には、右足の著しい痛みのためテープサポーターを装着し、両杖で右足に荷重せず、室内のみ歩行しているが、三〇分以上の持続性はなく、這行生活をせざるを得ず、外出に車椅子を用いる生活となつた。

なお、梶浦医師は、原告は、内反尖足があつたため、平均的な形状の足首に比べ捻挫し易く、一旦捻挫するとそれに見合う形の装具の作成が困難であり、荷重に耐える力も少なかつたと推測され、靱帯の損傷が特異な形となり易く治療しにくい等のことから完治が難しく、左足首も加重に耐える力が少ないこともあつて、杖歩行は難しいと判断している。また、右足首の靱帯の損傷がなくとも、前記の変形がある場合には、通常人に比べて荷重に耐える力が弱いと推測されるから、高齢となつた場合、より早く、足関節の損傷が生じると推認できるが、原告の足首の状態は、靱帯損傷がなければ、直ちに症状が現われるような程度ではなかつたと判断している。

5  その後の経過

甲三二ないし三四、三九ないし四一、原告本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。

原告は、その後も足の症状は軽快せず、痛みが増す状況であつた。平成二年一二月二七日大阪市立大学医学部附属病院で、同三年六月一三日共立病院で、いずれも右陳旧性前距腓靱帯損傷(足関節の外側の靱帯の一つ(甲三五の一))の診断を受け、平成五年三月一六日国立大阪病院整形外科で、右前距腓靱帯不全損傷と左足距骨下関節痛の傷害を負つており、右足の荷重は疼痛のため困難で、左足への荷重も疼痛のため障害されている旨の診断を受け、同年四月一五日同科で、両側内反尖凹足であるが、原因は、シヤルコ・マリー・トウース症候群によるものではないことが、臨床経過、臨床症状、上肢神経伝導速度から判断される旨診断された。

四  内反尖足、シヤルコ・マリー・トウース症候群、捻挫の一般的説明

甲三五の1、2、四三、四四、六〇ないし六三、乙一三、証人大庭、同梶浦、同村尾の各証言及び弁論の全趣旨によると、以下の事実を認めることができる。

内反尖足とは、内反足と尖足の合併したものをいう。そのうち、内反足とは、足部の内転かつ内反した変形をいう。先天性と後天性があるが、前者が多い。

後者には、麻痺性(腓骨神経麻痺、二分脊椎、シヤルコ・マリー・トウース症候群、痙直性片麻痺、ポリオ、脳性小児麻痺等による。)のもの、外傷、炎症性等によるものがある。尖足とは、踵、足底が屈曲位をとり、足背伸展の制限された状態をいう。先天性のものは稀で、ほとんどが後天性で、外傷性、炎症性、麻痺性(坐骨神経、腓骨神経麻痺、脊髄性小児麻痺や脳性麻痺等による。)、習慣性(長期臥床、ギプス固定、対側下肢との長差による。)のものがある。

シヤルコ・マリー・トウース症候群とは、ほぼ左右対称性に徐々に進行する筋萎縮、脱力、運動機能障害をきたす疾患である進行性筋萎縮症の一種で、末梢性運動神経の変性が認められ、年長児期ないし青春期に発病するものが多く、下肢とくに小足筋に姶まり上肢に及ぶ。知覚異常、疼痛感、知覚鈍麻が存することがある。

捻挫とは、関節に外力が加わり、関節の生理的運動範囲を超える過度の動きが強制されるために発生する、骨折を除いた関節構成体即ち、関節包や靱帯などの損傷をいう。損傷の程度には、過伸展(靱帯の連続性は保たれていて靱帯内での緩みがあるもの。)、部分断裂(肉眼的な連続性は保たれているが、断裂線維束が靱帯よりたれさがり、もはや正常な安定した関節安定性を維持できないもの。)、完全断裂(連続性が完全に破綻し、断裂内が翻転し、関節内に垂れ下がるもの。)があり、軽いものから重大なものまで様々である。捻挫直後の機能障害の程度には、正常歩行から跛行するもの、松葉杖を要するものまで様々であるが、機能障害と靱帯の損傷の程度は必ずしも一致しない。一般に腫張と皮下出血が重い捻挫に伴うとされているが、受傷時にはほとんどこれらがない場合でも、多くは次第に増強し、二、三日目後に最高となる。初期治療としては、固定、免荷等して安静を保ち、冷却し、圧迫し、挙上することといわれているが、一般的には、湿布、テーピング、副子固定、サポーター、ギプス固定の処置が取られる。診断をするには、問診、視診、触診の他、単純レントゲン撮影、ストレスレントゲン撮影、関節造影等による。比較的軽微な受傷機転でも発生し、受傷直後は臨床的にも歩行可能な症例が多いため安易に取り扱われる傾向があり、適切な初期治療がなされなかつた場合には、後に疼痛、運動制限及び足関節不安定性などを残し、日常生活に支障をきたすことも少なくない。

五  因果関係、後遺障害の程度及び寄与度減額に対する当裁判所の判断

1  原告の内反尖足は幼少時から認められたものであること、本件事故以前にはつま先歩行以外には歩行障害等の機能障害やその進行は認められなかつたこと、麻痺等の神経原性の症状が具体的に認められたことはなく、かえつてこれを否定するような所見が散見されること等の前記認定の諸事実からすると、原告の内反尖足は、進行性麻痺性のものではなく、先天性ないし習慣性の変形であると認められる(なお、前記のとおり、痙性麻痺ないしシヤルコ・マリー・トウース症候群と診断されたこともあるが、右診断は、いずれも、その根拠が不明であることや、その後の具体的検査を根拠に神経原性を否定する甲三九、乙一一、証人梶浦の証言に照らし、信用できない。)。

そして、本件事故直前まで原告は問題なく歩行できたこと、事故の翌日には歩行が困難な状態となつたこと、事故の翌々日の昭和六三年二月二日の大阪赤十字病院整形外科入院時から口頭弁論終結時まで一貫して起立障害を訴えていること、昭和六三年二月一六日同科での四肢ROM検査等で右足捻挫の所見がみられたこと、右入院中に右足首の痛みも訴えていたこと、にもかかわらず、安静、湿布の処置しかとられず、捻挫ないし靱帯損傷を想定しての検査や処置はとられなかつたこと、昭和六三年二月二七日国立大阪病院整形外科に通院した際、医師に右足首を捩つたと訴えていること、平成元年五月二日に至つてボバーズ記念病院でストレスレントゲン検査をされ、右足首靱帯損傷との診断を受けたが、それまで右足首の靱帯の損傷を想定した検査はされなかつたこと、また、右診断に際しては、症状から麻痺性の他疾病による可能性を念頭におき、検査の結果によりこれを排除していること、平成元年八月三日になつて、大阪赤十字病院の稲次医師は、原告の歩行障害が本件事故による右足首靱帯損傷に基づくものと認めるに至つたこと、原告は本件事故直後は歩行できていたが、一般的に右足首の靱帯が損傷しても受傷当初は歩行可能なこともあり得るし、初期に適切な処置がとられなければ、疼痛、関節の不安定性は残り得ること、赤十字病院のカルテに腫れの記載がない点については、村尾医師は当時研修医で原告の診察開始当初から原告がシヤルコ・マリー・トウース症候群と疑つていた上、原告の足の形態からは腫れが見いだしにくいこと等を総合考慮すると、原告の歩行障害は、本件事故によつて右足首を複雑に捻挫し、靱帯が損傷したために、疼痛と不安定性が生じたことによるものと認められる。

そして、前記認定の治療経過からすると、原告の歩行障害の原因が特定され、これに対するリハビリが効を奏さないことが明らかになつたボバーズ記念病院での後遺障害診断時である平成元年一二月一四日が症状固定日であり、原告の前記病状に照らすと、疼痛及び不安定性により、実質的に右足首の機能が失われた状態となつているから、八級七号と認められる。

2  ところで、前記のとおり、比較的軽微な事故で右足首の靱帯の損傷が生じたこと、歩行時の疼痛が著しいこと、原告の右足の障害に見合つた装具が作成できないこと、原告の左足にも痛みが生じたこと等、原告の傷書の発生及び前記後遺障害の残存には、原告が内反尖足であるため平均的な形状の足首に比し、耐えられる荷重が小さいことの影響が少なくないといわざるを得ない。そこで、公平の見地から、損書額を相当程度減額すべきところ、原告の両足の変形は、本件事故前には機能障害をきたしておらず、内反は軽微であつたこと、本件事故がなければ機能障書が発生するとしても高齢となつてからと推測されること、変形は専ら身体的なもので原告に何らの帰責性は認められないこと等の前記認定の諸般の事情を考慮すると、五割の減額をもつて相当と認める。

なお、原告は、被害者に帰責性のない体質的素因に基づく寄与度減額はすべきでない旨主張するが、体質的素因の寄与により損害が発生し、拡大した場合には、素因の形成につき被害者に帰責性がないことを考慮しても、なお加害者に損害の全部を賠償させることが公平を失するときには、民法七二二条二項の類推適用により減額できると解される(原告主張の最高裁判決も同旨と解される。)ので、原告の右主張は失当である。

六  損害

1  治療費 三九万二六五五円、ポリネツク代 四〇〇〇円

当事者間に争いがない。

2  平成元年一二月一四日までの付添看護費 一〇二万四五〇〇円

前記認定の症状に原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は、前記認定の歩行障害のため、治療中も独力で日常生活を営むことは困難で、ある程度の看護を必要としたこと、本件事故日から母親等の近親者や知人の看護を受けていたことが認められるところ、右症状に照らすと、その額は一日当たり平均一五〇〇円とみるのが相当である。

1500円×683=102万4500円

3  右以降の付添看護費 一一六八万四〇三三円

前記認定の後遺障害の程度に照らすと、原告は、平成元年一二月一四日(四〇歳)以降、少なくとも原告主張の八一歳までの間、前記程度の付添費相当の損書を被ると認められるので、ホフマン係数によつて中間利息を控除し、本件事故時の現価を算出する。

1500円×365×(22.2930-0.9523)=1168万4033円(小数点以下で切り捨て、以下同じ。)

4  入院雑費 六万九六〇〇円

前記認定からすると、原告は少なくとも原告主張の五八日間本件事故に基づく傷害によつて入院したと認められるところ、一日当たりの雑費は原告主張の一二〇〇円を相当と認める。

1200円×58=6万9600円

5  通院交通費 七万四五二〇円

前記認定の治療経過、弁論の全趣旨によると、大阪赤十字病院分二八二〇円(一往復九四〇円、三回分)、国立大阪病院分二万九七〇〇円(一往復一一〇〇円、二七回分)、ボバーズ記念病院分四万二〇〇〇円(一往復三〇〇〇円、一四回分)を認めることができる。

6  装具購入費 二〇万四二二一円

甲七、八、同九ないし一一の各1、2、一二、一三、証人梶浦の証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により、認められる。

7  診断書作成費 二万四七二〇円

甲一四ないし一七により、認められる。

8  休業損書 九〇六万〇一三九円

甲一八、同二四、二五の各1、2、二六、二七、四一、四八、五九、原告本人尋問の結果によると、原告は、大卒の女子であり、本件事故当時まで、刺繍の作品を制作・販売し、刺繍を教える仕事に就くとともに、夜間は副業としてホテルに勤務して電話交換業務に従事し、昭和六一年の所得を六五一万四六〇〇円として、昭和六二年六月二六日に確定申告したこと、昭和六二年の所得を四一六万九二八八円として、昭和六三年一一月二四日に確定申告したこと、昭和六二年の所得が減少したのは、前記の傷害のため稼働できない期間があつたためであることが認められるものの、本業である刺繍関連の収入は変動が少なくないと考えられること、副業も固定的でないこと、原告の確定申告は、右のとおり、通常とは著しく異なる時期になされていること等を考慮すると、原告の年収を、原告主張の六五一万四六〇〇円と認めることはできない。しかしながら、前記の稼働状況に照らし、原告は、平成元年賃金センサス職業計・企業規模計大卒女子四〇歳から四四歳の平均賃金である年収四八四万八三〇〇円を得た蓋然性は認められるから、左のとおりとなる。

484万8300円÷366×335+484万8300円÷365×348=443万7651円+462万2488円=906万0139円

9  後遺障害逸失利益 三五四九万四二一〇円

前記のとおり、症状固定時(四〇歳)から就労可能年齢の六七歳まで年収四八四万八三〇〇円を得る蓋然性が認められるところ、前記の後遺障害の程度に照らし、労働能力喪失率を四五パーセントとし、ホフマン係数によつて中間利息を控除すると、事故時の現価は、左のとおりとなる。

484万8300円×0.45×(17.2211-0.9523)=3549万4210円

10  傷害慰謝料(入通院慰謝料) 一五〇万円

前記認定の入通院の経過に照らし、右額を相当と認める。

11  後遺障害慰謝料 六〇四万円

前記認定の後遺障害の程度に照らし、右額を相当と認める。

12  損害額合計 六五五七万四〇九八円

七  寄与度減額後の損害 三二七八万七〇四九円

八  既払い金(三四七万五三三五円)控除後の損害 二九三一万一七一四円

九  弁護士費用 三〇〇万円

本件事案の内容等一切の事情に照らし、右額をもつて相当と認める。

一〇  結論

よつて、原告の請求は、三二三一万一七一四円及びこれに対する不法行為の後である昭和六三年二月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由がある。

(裁判官 下方元子 水野有子 村川浩史)

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